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◆花と緑の冬のフェスティバルに出展 氷見ツバキ愛好会が、2月11日から13日まで富山テクノホールで開催されました、 「花と緑の冬のフェスティバル」に出展しました。来場者にも大変好評で例によって 水上会長は、話を始めると止まらない様子で氷見の薮つばきを熱心に説明していまし た。 |
説明する水上会長 |
愛好会コーナー全景 |
竹を中心に椿・梅・ローバイ他のモニュメント |
大伴家持の絵 |
当日会場で配布されたパンフレットの表紙のコピーです。 内容を少し長いですが入れておきます。 1 |
椿は古来より春の先駆けの瑞花とされ、日本の山野に自生する花木である。椿が我 が国の文化に与えた影響は今日も及んでいる。用の面では、染織・陶磁・民具・武具 ・農耕・薪炭・医薬・食料・化粧にいたるまで、衣食住の文化生活の資を、この材、 この実(油)、この灰にもとめるところが多くあった。美の面でも、茶道・華道・造 園に欠かせない要素としてとけこみ、美術工芸・詩歌文学の名作・信仰・風俗に、多 種多様に親しまれ、「吉祥長寿」「迎春歳寒」「親愛和合」を表すものとして、文武 貴賎を問わず愛好されてきた、日本の代表的な花木と言えよう。 また、結婚の華燭の典には、椿が刻まれている調度品が多く見られる。椿の縁結び の伝承は、須佐之命と櫛稲田姫命が出雲で八重垣を結んで結婚されたとき、記念に椿 を二株植えられたのが成長し、合体して連理となり、夫婦を象徴するものとして、今 は松江市の出雲八重垣神社に遺されている。 先年、宮内庁秘蔵の「椿花図譜」が修復されたが、これには「日出椿」「曙」「高 砂」「富貴」「狸狸」「日本」「金水引」などめでたい名の品種や、今日見られない 珍貴品種が七百余種、収載されている。伊勢皇太神宮域の椿林、十二単衣の椿文様、 京都仙洞御所や大宮御所、桂離宮、修学院離宮の椿樹、針隠しの花車、引き戸の金具 など、皇室との関係も各方面で見受けられる。 富山県においての椿は、大伴家持の万葉集に歌、八尾の聞名寺内陣の欄間の雪椿、 黒部市の村椿、氷見市の椿原の姓など、古めかしい香りと共に残されている。また、 本県には椿が多く自生し、ヤブツバキ・山地のユキツバキ・山麓部のユキバタツバキ (ヤブツバキとユキツバキの自然交雑の中間型)が多く分布する。 氷見市には、老谷の大椿、別名「さしまたの大椿(推定樹齢七〇〇年、幹周り3M 780CM)」があり、その姿は、世界一ではないかと思われるほど壮観である。氷 見市には、この老谷の大椿や長坂の大椿(推定樹齢四〇〇年)に匹敵するような椿が 存在するのではないかと、平成四年から幹周り1メートル以上の椿を対象に調査を開 始した。調査の結果、幹周り1メートル以上の椿を、153本確認している。全国に も誇れるこの椿を文化遺産として、後世に残して行きたいと願っています。 |
記紀万葉と椿 つぎねふや 山代河を 河上がり 吾がよれば 河の辺 に 生ひ立てる 烏 草樹を 烏草樹の樹 其が下に 生ひ 立てる 葉広五百箇 真椿 其が花の 照り坐し 其の葉の 広り坐すは 大君ろかも 仁徳天皇皇后(古事記) 倭の この高市に 小高る 市の高処 新嘗屋に 生ひ立てる 華葉五百箇 真椿 其が葉の 広り坐す 高光る 日の御子に 豊御酒献らせ 事の語言も 是とは 雄略天皇皇后(古事記) 奥山の 八峯の海石榴 つばらかに 今日は暮らさね ますらおのもと あしびきの 八峯の都婆吉 つらつらに 見とも飽かめや 植えてける君 大伴家持『万葉集』 そのほか氷見市内にある椿の巨樹の調査表とおもな薮ツバキの所在を標した地図も記 載されています。 |