会報5号の内容の一部です。
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●中居敏雄先生が行願寺の椿展で{「万葉集」と椿}と題した講演から
「奥山の 八つ峰(やつを)の海石榴(つばき) つばらかに 今日は暮らさね ますらおのとも」
大伴家持 (巻19 4152)
この歌は、万葉歌人大伴家持卿が椿を詠んだ一首です。
きょう、この本堂には、県内各地からの70種あまりの椿が展示されており、愛好
家の方々は、みごとな花輪に心ひかれ、楽しい語らいが流れていました。「つばらかに今日は暮らさね」。十分に今日一日を過ごして欲しいよ、の歌意が住職さんの心として伝わってきます。
「万葉集」と大伴家持
「万葉集」は、多くの詩華を集めたもの、万代の世までも輝く歌集であることを願い名付けられたといわれます。奈良時代に、橘 諸兄、大伴家持らが編さんした歌集で、4516首もの長歌・短歌・施頭歌等が載っています。
読み人も、天皇から僧侶・防人・農民といういろいろの階層の方達です。物を見ても飾らず、素直に表現していますので、古くから国民に親しまれています。主な歌人のひとり大伴家持卿は、今から1260年前、越中国司として国府(今の伏木)に五ヵ年住んでおられ、越中の自然や風物などを歌に詠まれました。立山・二上山・布瀬水海・田子の藤・つままなどを奈良の都人に紹介されたのす。国司である家持は、地方巡視の折、能登の気多神社に参詣されたとき、
「之乎路(しおじ)から 直(ただ)越え来れば 羽咋の海
朝凪(あさなぎ)したり 船楫(ふねかじ)もがも
大伴家持 (巻17 4025)
の一首を詠まれました。「之乎路(しおじ)から 直(ただ)越え来れば」とあるから、氷見から志雄越えの道を通られたのです。近年「歴史の道百選」に選ばれた今の臼が峰道、御上使往来あたりでしょうか。
こう話しますと、私たちには遠い歴史の「万葉集」にも愛着を深め、大伴家持卿にも親しみを感じていただけるでしょう。
「椿」
椿は、「古事記}に神聖な木として載っています。ヤブツバキ・ユキツバキは日本の椿の原種であり、いろいろ改良栽培され、江戸時代には600種類にもなり、今では1300種類もあるといわれています。これだけ人々に親しまれる花なのです。また、椿は葉の厚い木(厚葉木「あつばき」)、葉に光沢のある(艶葉木「つやばき」)など葉の特色からツバキと名付けられたといわれています。
「屋敷内にツバキを植えるな」「つばきは病気見舞いに持っていくな」などと聞かされるが、ぽとりと花が落ちる椿と武士が打ち首を嫌ったことからの俗信でしょう。椿は長寿の木であり、奈良時代には、鑑賞・染色・採油(椿油)用として多く植えられています。老谷や長坂の椿は、県指定の天然記念物であり、上久津呂の椿は市指定の巨木です。最近の調査でも、氷見の山中に多くの椿の巨木があることがわかりました。
椿の花言葉は、「理想の恋」「私はあなたを愛します」で、若者にも好かれる花です。
以下省略
そのほかに愛好会会員の丸山志郎氏のレポート・都婆吉艸石(行願寺住職 こだま宣宗)氏の「正月の玄関・床の間の飾り」についての記事などが掲載されています。
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